わたしのソーラータウン想い出


昔からそこにあったような街。OMソーラーの住まい手の街をつくりたい。
そんな相羽会長の一言からソーラータウンはスタートしました。

さかのぼる事今から20数年前の2,000年ころ。Y2K問題に揺れるこの時代に事業を開始。東村山市久米川町に事業用地を取得したのでした。
早速日頃からお付き合いのあったOM研究所の永田昌民先生に街づくりの相談に行った相羽会長。そこで建築家の伊礼智先生と出会ったのでした。

街づくりというとパワービルダーの建売住宅が主流だった時代。俗にいう分譲地として決して売りやすい敷地でもなかった当該地での相談を受けた先生たちも、当初は戸惑いもあった様子。それでも突き進むのが相羽建設の社風です。紆余曲折協議を経て、街並みの監修や建物設計をOM研究所にお願いする事が決定しました。

やもすると「早く売りぬくこと」が大切となりがちな分譲業界ですが、それらとは一線を画した街づくりの挑戦でした。
ここで建築家×建築屋の街づくりの取組みがスタートしたのでした。

まずは、職人さんたちがやりがいもって取り組んでもらえる環境づくり。「相羽会長の夢を実現させよう!」と職人さんたちが一番盛り上がってくれていました。それまで注文住宅を建てていた相羽建設ですが、1棟1棟違う仕様や滅多に使わない在庫も増えてしまう傾向もありました。それらやりづらさや無駄を省く意味でも、伊礼先生の洗練された仕様の統一、プレタポルテを勉強しました。
そして柱となる五原則とルールづくり。お客様にもわかりやすく伝わる方法について取組みました。

「永く住み続ける」ための 5原則
・五感で感じることができる住まい
・可変性を持った住まい
・構造的に丈夫な住まい
・自然でパッシブな住まい
・「住み続けたい」と思える住まい
↑ 思い出すと、何だか懐かしく気恥ずかしく感じます。

これらの骨子案が現実的に出来るのか、事業として成立するのか。本番を前に検証すべくモデルハウスを建てることになりました。

このお話は次回に続きます。